2021年の絶望的な大怪我を乗り越え、ついに世界のトップ戦線へと返り咲きました。2023年に日本女子初のワールドカップ表彰台独占という快挙の一翼を担うと、その勢いのまま迎えた2026年ミラノ・コルティナ五輪。極限の緊張感の中、誰よりも遠くへ、誰よりも美しく舞い、日本勢に今大会初のメダルをもたらしたその姿は、多くの人々に勇気と感動を与えました。不屈の精神で空を飛ぶ、丸山希さん。
【五輪】丸山希、銅メダルは「思ったより重かった」大けが乗り越え初舞台で歓喜の涙
— スポーツ報知 (@SportsHochi) February 7, 2026
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そんな丸山希さんについてもっと詳しく知りたくなっちゃいますよね!「モデルさんのようなシュッとしたスタイルだけど実際はどのくらいなの?」「あんなに落ち着いているけれど、どこで生まれて、何歳なの?」「AB型っていう噂は本当?」「ジャンプを始めたきっかけや、支えてくれたお家の人たちのことも気になる!」などなど。この記事では、そんな皆さんの知りたいポイントを公式データやエピソードをもとに、スッキリ解決していきます!
プロフィール
| 項目 | 内容 |
| 名前(ふりがな) | 丸山 希(まるやま のぞみ) |
| 生年月日 | 1998年6月2日 |
| 年齢 | 27歳(2026年2月現在) |
| 出身地 | 長野県下高井郡野沢温泉村 |
| 身長 | 161cm |
| 血液型 | AB型 |
| 出身校 | 明治大学 |
| インスタグラム | nozomi_maruyama |
| 所属事務所(所属先) | 北野建設スキークラブ |
どんな選手なの?
丸山希さんは、日本を代表するトップクラスのスキージャンプ選手です!
特に有名な活動といえば、2023年のワールドカップ・ヴィリンゲン大会。伊藤有希さん、高梨沙羅さんと共に、日本女子史上初となる「表彰台独占」を成し遂げたニュースを聞いて「あ、知ってる!」という人も多いのではないでしょうか。
【快挙】W杯ジャンプ、日本女子が表彰台独占https://t.co/Zv04ioN1k2
— ライブドアニュース (@livedoornews) February 6, 2023
伊藤有希が6季ぶりに優勝し、丸山希は自己最高の2位。高梨沙羅が3位に入った。日本勢の女子が表彰台を独占するのは史上初。 pic.twitter.com/GWuch1E0XK
元々はジュニア時代から天才肌として注目されていましたが、2021年に膝に選手生命を左右するほどの大怪我を負ってしまいます。しかし、そこから血の滲むようなリハビリを経て復活。今や世界ランクでもトップを争う、日本女子ジャンプ界の絶対的なエースとして活躍しています。
身長は?
丸山希さんの身長は161cmで、日本人女性の平均身長と比較すると、以下のようになります。
日本人女性の平均身長
- 20代の平均身長は157.5cm。
- 30代の平均身長は158.2cm。
丸山希さんの161cmは、20代および30代の日本人女性の平均身長を大きく上回っています。したがって、彼女は平均よりもかなり高い身長を持っていると言えますね。ジャンプ競技において、高い身長と長い手足は空中での浮力を生む大きな武器になります。
年齢・血液型・出身は?
丸山希さんの年齢や血液型、そして彼女のバックボーンである「野沢温泉」への深い愛について、素敵なエピソードを交えながら詳しくご紹介します!
🎂 27歳の若きエース!プロフィールをチェック
丸山希さんは1998年生まれの27歳(2026年2月現在)です。血液型は、独自の感性とこだわりを持つと言われることが多いAB型。
名門・明治大学を卒業した才色兼備なアスリートで、雪国育ちならではの驚異的なバランス感覚を武器に、世界の空を舞っています。そんな彼女の強さの秘密は、どうやら故郷との強い「絆」にあるようですよ!
♨️ ヘルメットに刻んだ「故郷への恩返し」
丸山希さんの地元愛を象徴するのが、ワールドカップ遠征に加わり始めた頃のエピソードです。なんと彼女、スポンサー契約のない時期に、自発的に**「NOZAWA ONSEN SNOW RESORT」**という地元のロゴをヘルメットにつけて世界転戦をしていたんです!
恩師である杉山さんも「他の企業からの誘いもあったはずなのに、育ててもらった恩を感じてくれていたのかな」と、彼女の義理堅さに感動していたそう。自分の活躍を通じて、大好きな故郷を世界にアピールしたかったのかもしれませんね。
🎿 温泉街のみんなが「家族」のような温かさ
丸山希さんにとって、野沢温泉村はただの出身地ではなく、心からリラックスできる「ホーム」そのもの。
- 温泉が無料!:実家近くの温泉に行けば、近所の人たちが「希ちゃん、おかえり!」「応援してるよ!」と親戚のように声をかけてくれる。
- トロフィーの寄贈:自分が勝ち取ったトロフィーを「子どもたちの大会で再利用してほしい」とクラブに寄贈。
大ケガのリハビリ中も地元の施設を利用していたそうで、辛い時期を支えてくれた温かい人々の存在が、今の彼女のパワーの源になっているのは間違いありません。
🥬 意外なこだわり?「野沢菜」のお話
長野といえば野沢菜ですが、丸山希さんにはちょっと意外なこだわりがあるみたいです(笑)。
実家でおばあちゃんが作っていた野沢菜は、かなり「しょっぱめ」で実はあまり得意ではなかったんだとか!
でも、今では「家庭ごとに味が違うのが面白い」と感じているそうで、好みのタイプは**「あまり漬かっていない、あっさり系」**とのこと。そんな飾らない、等身大のコメントも彼女の魅力の一つですよね。
どこへ行っても故郷を忘れず、みんなの期待を翼に変えて飛ぶ丸山希さん。彼女の活躍は、野沢温泉村、そして日本中のファンの心を熱くしてくれます!
競技のきっかけは
丸山希さんがどのようにして世界の空へと羽ばたいていったのか、その意外で可愛らしいキッカケや、強さの秘密に迫るエピソードをご紹介します!
👶 託児所がわり?遊び場はジャンプ台!
丸山希さんがスキージャンプに出会ったのは、実は「遊び」の延長線上だったんです。
スキークラブに入るのは小学4年生からですが、お姉さんがクラブにいた関係で、それ以前からお弁当を持って練習場に遊びに来ていたのだとか。
当時のコーチいわく「託児所代わりに使われていた(笑)」というから驚きですよね。お友達と新雪の中でわちゃわちゃ転げ回って遊んでいた時間が、自然と雪山での身のこなしを鍛えてくれたのかもしれません。
🕊️ 「手は離さないから」…からのジャンプデビュー!
そんな丸山希さんが初めて空を飛んだ時、ちょっとした「事件」がありました。
最初は着地斜面を滑る練習ばかりしていましたが、しびれを切らしたコーチに連れられ、少し高い位置から飛んでみることになったんです。
「手は離さないからね」というコーチの言葉を信じて滑り出した丸山希さんでしたが……案の定、コーチはパッと手を離したそうです(笑)。スキージャンプ界では「あるある」のデビュー秘話ですが、この時におどおどせず、しっかり着地できた度胸が、今のメダリストとしての資質を感じさせますよね!
🏃 実は「心臓が強い」持久力派だった!
中学時代の丸山希さんは、ジャンプだけでなくクロスカントリーも並行して行う「複合選手」として育ちました。
恩師の杉山さんによれば、彼女は特に登り坂に強く、とにかく「心臓が強い」タイプだったそうです。村のロードレースやクラブのランニングでも常に速かったというから、今の空中での粘り強さは、この頃に培われた圧倒的な体力が土台になっているんですね。
🎿 昼休みはアルペン三昧!スキーを楽しむ心
土日の練習では、昼休みにみんなでアルペンスキーをやりに行くのが野沢温泉っ子の定番。村から無料リフト券が配られていたので、みんな夢中で滑りまくっていたそうです。
あまりに楽しすぎて、午後の練習が始まっても戻ってこない子がいたというエピソードも(笑)。
苦しいトレーニングだけでなく、こうして遊びの中で「スキーを心から楽しむ」経験を積んできたことが、プレッシャーのかかる五輪の舞台でも伸び伸びと飛べる、丸山希さんのメンタルの強さに繋がっているのかもしれませんね!
学歴で分かっていることはあるの?
丸山希さんの学歴や、学生時代に培われた「負けず嫌い」で「真っ直ぐ」な素顔に迫るエピソードをまとめました。今の輝かしい活躍の裏には、男子だらけの環境に一人で飛び込むような、圧倒的な行動力があったんです!
🎓 スキーの強豪・飯山高校で磨いた基礎体力
丸山希さんは、地元の野沢温泉からも近いスキーの名門、長野県飯山高校の出身です。
多くの五輪選手を輩出しているこの学校で、彼女はジャンプだけでなく、心肺機能を鍛えるクロスカントリーにも全力で取り組んでいました。
恩師いわく、子供の頃の彼女は「線が細く、最初から逸材というわけではなかった」とのこと。しかし、とにかく負けず嫌いで、男の子にも勝ちたいという一心で練習に打ち込む姿が印象的だったそうです。ジャンプが大好きで、きつい基礎トレーニングも他の子より積極的に取り組む姿勢が、今の「粘り強いジャンプ」の土台を作ったんですね。
⛩️ 39年ぶりの快挙!明治大学での「女子ひとり」生活
高校卒業後、丸山希さんは明治大学に進学します。
実はこれが驚きの決断!当時の明治大学スキー部(ジャンプ・コンバインド部門)には女子の枠がなく、彼女はなんと39年ぶりの女子部員として、男子部員しかいない環境にたった一人で飛び込んだのです。
寮生活も男子のみだったため、彼女だけ近くのマンションで一人暮らし。1年生の頃は、朝7時の体操から寮の掃除、食事の買い出しや準備といった雑用に追われ、「本当にここに来たかったのかな……」と悩んだ時期もあったそうです。それでも自分の決めた道を信じて突き進む姿は、本当にかっこいいですよね。
🔥 3度の直談判!「ジャンプ一本」にかけた覚悟
大学入学当初、監督やコーチ陣は、彼女のスキー操作の巧さから「女子複合(コンバインド)」の選手としての可能性も考えていました。そのため、ジャンプだけでなく過酷なクロスカントリーのメニューも課されていたのです。
しかし、丸山希さんの心は「ジャンプ一本」に決まっていました。
- 1回目の相談:「ジャンプ専任にしてください」→監督「まだ早い」
- 2回目の相談:再び直訴するも「夏を越してからもう一度来い」と保留。
- 3回目の相談:夏休み明け、ついに監督の首を縦に振らせました。
この直談判が実ったのは、彼女がどんなにキツい練習メニューも一切泣き言を言わずに完遂していたから。その真面目でひたむきな練習態度を見ていたからこそ、監督も「こいつの本気は本物だ」と認めたのです。
🥇 地元インカレで見せた「有言実行」の強さ
ジャンプ専任を認める条件として監督が出したのは、「地元・野沢温泉で開催されるインカレで断トツで勝つこと」。
丸山希さんはこれを見事に、それも**「ぶっちぎりの優勝」**でクリアしてみせました!
この「ケジメ」をつけたことで、彼女は大学2年生から本格的にワールドカップへと羽ばたいていきます。世界のトップを走る高梨沙羅さんたちのストイックな姿を間近で見ながら、「自分も五輪選手になるんだ」という夢を現実の目標へと変えていったのです。言葉だけでなく、結果で自分の道を切り拓いてきた丸山希さん。その意志の強さが、今のメダル獲得に繋がっているんですね!
彼女を襲った大けがからの復活
丸山希さんがミラノ五輪で手にした輝かしい銅メダル。その栄光の裏側には、選手生命を揺るがすような絶望的なアクシデントと、そこから這い上がった不屈の物語がありました。私たちがテレビの前で見たあの笑顔に込められた、壮絶な苦労のエピソードをご紹介します。
😢 北京五輪目前、最高のジャンプが招いた悲劇
大学を卒業し、北野建設に入社して「さあこれから!」という時でした。2021年10月、北京五輪まであと4ヶ月というタイミングで行われた全日本選手権。丸山希さんは、自分でも「競技人生で一番」と手応えを感じる129.5mの大ジャンプを見せます。
しかし、その着地で無情にも転倒。左膝の前十字靭帯断裂という、アスリートにとって最も過酷な大ケガを負ってしまいました。確実視されていた北京五輪への道は、その瞬間に閉ざされてしまったのです。
「楽しんで飛んで金メダルを」5年前の大けが乗り越え…スキージャンプ丸山希選手が日本のエースに成長 今季W杯5勝 好調の要因は「足裏」の感覚 ミラノ・コルティナオリンピック #FNNプライムオンライン #長野放送 https://t.co/CReRVKHVNd
— NBSみんなの信州 (@NBS_news8ch) January 19, 2026
💪 「絶対に復活します」誓いの言葉と恐怖心
手術を前に、丸山希さんは関係者に「絶対に復活します」という力強いメッセージを送りました。しかし、実際の復帰への道は、想像以上に険しいものでした。
8ヶ月のリハビリを経てジャンプを再開したものの、頭を離れないのは「また膝が崩れるのではないか」という恐怖心。誰にも押されていないのに、いきなり膝カックンをされたような感覚に襲われることもあったそうです。それでも、転倒したあの「最高の感覚」だけは忘れまいと、必死にリハビリを続けました。
👣 魔法の合言葉は「足裏」のイメージ
なかなか以前のような結果が出せず、「ジャンプが楽しくない」とまで思い詰めていた丸山希さんに、救いの手を差し伸べたのが作山憲斗コーチでした。彼のアドバイスは、驚くほどシンプルな「足裏をイメージして」という言葉。
あれこれ考えすぎていた丸山希さんは、この言葉で「基本のキ」に立ち返りました。時速90kmの猛スピードの中で、足の裏のどこに重心があるのか。ミリ単位の感覚を研ぎ澄ませた結果、重心がぐっと低くなり、ジャンプがスムーズに変化!「足裏ひとつでここまで変われるんだ」と、大きな自信を取り戻したのです。
🚀 恐怖を「楽しさ」に変えてミラノへ!
さらに彼女は、あえて「遠くまで飛びすぎる」練習にも取り組みました。最初は恐怖もあったそうですが、慣れてくると「遠くまで飛ぶ」というスキージャンプ原点の楽しさを再発見!恐怖心を、空を飛ぶ喜びへと上書きしていったのです。
その成果は、夏の国際大会での初優勝、そして今回のミラノ五輪での銅メダルへと結実しました。表彰台で見せたあの晴れやかな笑顔の裏には、膝の痛みや心の壁と戦い続けた、丸山希さんの血の滲むような努力があったことを、私たちは忘れてはいけませんね。
兄弟や家族構成は?
丸山希さんの強靭なメンタルと、世界を舞台に戦い抜くパワーの裏側には、個性的で愛情深いご家族、そして今は亡きお母様との強い絆がありました。感動的でありながら、丸山希さんらしいサバサバとした素敵なエピソードをご紹介します!
⛷️ スキー一家の末っ子として育った日々
丸山希さんは、ご両親と、お兄さんが1人、お姉さんが1人の3兄妹(兄・姉・希さん)の末っ子として育ちました。お父様と一番上のお兄さんもジャンプ経験者という、まさにスキー界のサラブレッド!
末っ子の丸山希さんは、ご本人いわく「好奇心旺盛な子供」だったそうで、お兄さんやお姉さんが大人びていく中で、一人元気に遊び回っていたのだとか。そんな彼女を一番近くで、時に厳しく、時に温かく見守っていたのがお母様でした。
🔥 「大学の願書をポイッ!?」お母様との強烈エピソード
お母様は、末娘の丸山希さんに対して特に厳しく接していたそうです。「何かで一番になりなさい」という言葉をかけ続け、調子に乗っている(信州弁で「ちょんこづいている」)時には容赦なくカミナリを落としたといいます。
一番の驚きは高校2年生の冬。1ヶ月半の遠征から帰宅し、家でゆっくりしていた丸山希さんに対し、「家の手伝いもできない子はダメ!」と、なんと大学の願書を破り捨ててしまったことがあるそうです(笑)。でも、それは丸山希さんが自立した一人の人間、そしてアスリートとして強くあってほしいという、お母様なりの深い愛情の裏返しだったのかもしれませんね。
🕊️ 母が遺した「チャンスを無駄にするな」という魂
丸山希さんが高校3年生の時、大きな悲しみが襲います。お母様の容体が急変し、亡くなってしまったのです。それはちょうど、丸山希さんが初めてワールドカップに出場しようとしていた運命のタイミングでした。
告別式に出ようとした彼女を待っていたのは、お父様が用意した札幌への航空券。お母様は生前、「自分で掴んだチャンスを、変えられないこと(葬儀)のために使うな」という遺言を残していたのです。
戸惑いながらも試合に向かった丸山希さん。その時のジャンプの記憶はほとんどないそうですが、「チャンスを無駄にしてはいけない」というお母様からの最後のメッセージは、今の彼女の心に深く刻み込まれています。
🌟 活躍の陰にある「お母様という原動力」
丸山希さんは「お葬式に出ていないから、今でも母がどこか近くで見守ってくれている気がする」と語っています。優しくされた思い出を「あまり覚えてない(笑)」と明るく笑い飛ばすあたりに、お母様譲りのサバサバとした強さが感じられますよね。
2026年ミラノ五輪でのメダル獲得をはじめ、丸山希さんがどんな逆境でも「一番」を目指して飛び続けられるのは、天国から鋭い視線を送っている(?)お母様の存在があるからこそ。母親との厳しくも温かい絆が、世界を魅了する大ジャンプの原動力になっているのです!
【五輪】日本勢メダル1号!丸山希が天国の母に届ける銅メダル…ジャンプ女子ノーマルヒル
— スポーツ報知 (@SportsHochi) February 7, 2026
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まとめ
いかがだったでしょうか?今回は丸山希さんの不屈のスケール感と、故郷や家族との絆が生んだ飛躍について解説してきました。
2021年の絶望的な大ケガを乗り越え、ミラノの空で見事に銅メダルを掴み取った丸山希さん。彼女の強さは、単なる技術だけでなく、お母様が遺した「チャンスを逃さない」という強い意志や、野沢温泉の皆さんの温かい支えによって作られたものでした。
悲願のメダルを手にした今、彼女が次に見据えるのはワールドカップの総合優勝、そしてさらなる高みへのジャンプです。どんな逆境も「足裏」の感覚と持ち前の負けず嫌いな性格でプラスに変えていく彼女なら、これからも私たちに想像を超える感動を届けてくれるはず。日本の、そして世界の女子ジャンプ界を牽引する絶対的エースとして、丸山希さんの伝説はまだまだ続いていきます。これからも全力で応援していきましょう!

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